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福岡地方裁判所 平成2年(人)4号 判決

請求者

西村三郎

右代理人弁護士

別紙代理人目録のとおり

拘束者

西村美智子

右代理人弁護士

青山吉伸

右同

高橋庸尚

被拘束者

西村舞子

右同

西村亜哉子

右両名代理人弁護士

小野山裕治

右同

村井正昭

主文

一  請求者の請求を棄却し、被拘束者両名を拘束者に引き渡す。

二  手続費用は請求者の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求者

1  被拘束者らを釈放し、請求者に引き渡す。

2  手続費用は拘束者の負担とする。

二  拘束者

1  本案前の答弁

(一) 本件請求を却下する。

(二) 手続費用は請求者の負担とする。

2  本案についての答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求の理由

1  当事者

請求者(昭和一五年三月一二日生)と拘束者(昭和二二年八月六日生)とは、昭和四九年一一月一五日に婚姻届出した夫婦である。

被拘束者西村舞子(昭和五〇年一二月八日生。以下「被拘束者舞子」という。)及び同西村亜哉子(昭和五二年一二月三一日生。以下「被拘束者亜哉子」という。)は、請求者と拘束者との間に生れた子である。

2  拘束者のオウム真理教への入信

(一) オウム真理教について

(1) オウム真理教は、麻原彰晃こと松本智津夫(以下「麻原」という。)を教祖とする新興宗教団体で、平成元年八月に宗教法人としての認証を受け、全国各地に支部、道場を有しており、福岡市にも福岡支部道場(福岡市博多区博多駅前二―六―一五第一渡辺ビル六階)を有している。

その教義内容は、シバ神を崇拝し、古代ヨーガ、原始仏教、大乗仏教を一応根本として、ヨガ、超能力を中心に据えた修業により解脱、悟りを得るとともに、絶対自由、絶対幸福、絶対歓喜の状態に到達することができると説くものである。

(2) オウム真理教では、解脱を目指して修業する場合、出家することが解脱に至る早道とされている。出家するときは、すべての財産を布施し、肉親、友人、知人等との直接、間接の接触を断ち切ることが求められる。

(二) 拘束者の入信

拘束者は、婚姻前から宗教に凝っていたが、婚姻後、田川市所在の糒(ほしい)不動尊や阿含宗を信仰するなどして、新興宗教を渡り歩いた。

拘束者は、昭和六二年ころから、オウム真理教に入信し、オウム真理教の福岡支部道場に通うようになった。拘束者は、オウム真理教に入信してからは、被拘束者らを右道場に連れて行くだけでなく、さらに家庭においても被拘束者らにオウム真理教の教義を教え込んだり修業させたりするようになった。

請求者は、被拘束者らに宗教を教え込むことに反対し、そのことで折りに触れ、拘束者と対立するようになった。

3  拘束者の家出

(一) 拘束者は、平成元年三月一一日、被拘束者舞子及び同亜哉子のほか西村剛介(昭和五四年九月二五日生)、西村陽介(昭和五七年二月一一日生)、西村京子(昭和六〇年八月四日生)の五人の子供を連れて家を出て、オウム真理教に出家し、オウム真理教の施設内で生活するようになった。

平成元年六月からは、被拘束者らは、拘束者とともにオウム真理教の富士総本部道場で、ほとんど修業のみの生活をするようになった。この道場で生活している間は、被拘束者らは拘束者とほとんど会う機会もなく、全く学校にも行かず、勉強もせず、オウム真理教の信者達だけの中で、修業ばかりさせられていた。

(二) その後、平成元年九月一五日、請求者のオウム真理教側との必死の交渉の結果、被拘束者らを含む五人の子供は、拘束者及びオウム真理教幹部の承諾のうえで、請求者のもとに返された。

被拘束者らは、請求者のもとに帰ってからすぐは、請求者をひどく嫌い、心を開かなかったが、請求者が遊園地に遊びに連れて行ったり、親しい友達を呼んで話をしてもらう等するうちに、徐々に平常の心理状態に戻って行った。また、学校にも復学し、勉強するようになり、勉強の遅れを取り戻しつつあった。

4  被拘束者らの拘束

請求者のもとに帰ってから約一年経過した平成二年九月二〇日朝、被拘束者らは、いつものように学校に出かけたのであるが、その通学途中に、拘束者及びオウム真理教の信者によって、再び同教の施設内に連れて行かれ、現在に至っている。

5  被拘束者らの保護の必要性

(一) 被拘束者舞子は中学校三年生、同亜哉子は中学校一年生という基礎的な学習を必要とする時期であり、特に、舞子は来年に高校受験を控えており、その準備のために一日も早く就学させる必要があるが、拘束者は、就学義務に反して、被拘束者らを就学させていない。

(二) 拘束者は出家しており、被拘束者らに対し共同親権者の一人としての親権を行使していない。

(三) 被拘束者らの現在の環境は、以下に述べるように、劣悪である。

(1) 教育について

オウム真理教は、全国各地に支部、道場を有しており、拘束者、被拘束者らがそれらの施設に派遣された場合には、被拘束者らの就学が一層困難となることも予想される。また、オウム真理教の訴訟に関連して、拘束者は、被拘束者らを静岡(平成二年一〇月一八日)や東京(同月二二日)等に同行し、記者会見に同席させるなどしており、被拘束者らが勉学に励むことのできる環境にはない。

さらに、拘束者がオウム真理教の世界観、価値観のみを被拘束者に押し付けることは、被拘束者らの今後の人格形成に計り知れない影響を与える。

(2) 医療、健康等

オウム真理教の教義によれば、病気になり、けがをした場合でも、簡単な応急処置しか受けられず、限界になった場合にしか治療することが認められない。

また、食事は、一日二回で、毎日、胚芽米、納豆、「オウム真理教食」と呼ばれる根菜類に、豆乳、海苔、ひじき、脱脂粉乳のみであり、飲料水には、「甘露水」と呼ばれる不衛生な水が用いられている。

オウム真理教によれば、修業として短い睡眠時間を強要されるうえ、現住所は昼夜問わず信者が出入りし、被拘束者らがゆっくり十分な睡眠時間をとることができない。

(3) 社会からの隔絶

拘束者らは、オウム真理教の報道を除いては、テレビ・新聞・一般の雑誌を全く見ず、また、被拘束者らが接触する人間はオウム真理教信者に限られ、信者ではない家族や友人と接触することは禁じられており、被拘束者らは、社会の通常の情報から隔絶され、情報操作を受けて、多様な価値観への接触を妨げられている。

(4) 「現住所」の特殊性

拘束者が「現住所」と称するものは、オウム真理教が借りている同教札幌支部の寮であって、信者の食事を作ったり、信者達の洗濯物を扱うほか修業の場としても使用されるなど、信者の出入りが激しく、拘束者及び被拘束者が、親子として他から干渉されない生活を営むことはできない。

また、階下の住人や周辺の住民からの苦情により、賃貸人から本年いっぱいで立ち退くことを求められている。

(5) オウム真理教による心理的、物理的、経済的拘束状態

オウム真理教は、その出家規定により、外界との縁を切ることを求めるほか、その施設から逃げ出せば必ず罰が当たると教え込み、また、教えに背いた行動をとると罰を加えたり、逃げた者を強制的に連れ戻すなど、信者を心理的な拘束状態においている。また、その施設外へ出るのに許可を要するとしたり、信者同士で脱走を妨げさせ、あるいは事実上の見張りをおくなどして、物理的にも信者の脱走を不可能にして拘束している。さらに、拘束者には全く資力がなく、被拘束者らの今後の生活は、すべて、オウム真理教からの資金の供与を前提としており、被拘束者らは、経済的にも拘束状態にある。

(6) オウム真理教をめぐる現在の状況

オウム真理教に対する強制捜査、波野村や富士宮などのオウム真理教の施設所在地における地元住民との対立など、オウム真理教の内部、外部が騒然としている。このような状況下、オウム真理教は連日マスコミを積極的に利用し、その一環として、被拘束者らにも頻繁にテレビカメラの前で発言させている。被拘束者らを、このまま拘束者の手元に置くことは、かかる渦中に置き続けるということになる。

6  請求者のもとでの監護・教育

請求者は、食品製造販売会社を経営しており、被拘束者らを含む五人の子供を養育・監護していくに足る資力を有している。また、請求者方には、請求者の姉西村和枝が同居して子供達の面倒をみてきており、さらに、請求者経営の会社従業員も、被拘束者らが戻って来た場合に、その世話・監護に関して協力することを約束している。

7  よって、人身保護法二条及び同規則四条により、被拘束者らの即時釈放を求める。

二  拘束者の本案前の主張

1  本件請求の主要な争点は、オウム真理教の教義の是非であり、それを司法が判断することは、重大な信教の自由の侵害であり、政教分離原則違反であるから、却下されるべきである。

2  本件請求の主要な争点の判断には、宗教上の教義、信仰など複雑な価値判断が必要となり、法令の適用による終局的解決が困難であって、裁判所法三条にいう法律上の争訟にあたらないから、却下されるべきである。

三  拘束者の本案前の主張に対する請求者の主張

本件における主要な争点は、拘束者の被拘束者らに対する違法な拘束の事実の有無であり、ひいては被拘束者らの健全な成長、福祉、幸福の観点から見て、拘束者が被拘束者らを排他的に監護することが許されるか否かの点にあるのであって、右争点の判断に当たって、オウム真理教の教義の是非を判断する必要は全く存しない。そして、本件請求が、宗教上の教義に関する判断にかかわるものではない以上、人身保護手続によって審判されうるものである。

四  請求の理由に対する認否

1  請求の理由1及び2(一)(1)の各事実は、いずれも認める。

2  請求の理由2(一)(2)の事実のうち、出家することが解脱に至る早道とされていることは認め、その余は否認する。

3  請求の理由2(二)の事実のうち、拘束者が、昭和六二年ころからオウム真理教に入信し、同教の福岡支部道場に通うようになったことは認め、その余は否認する。

4  請求の理由3(一)の事実のうち、拘束者が、平成二年三月一一日、被拘束者ら五人の子供を連れて家を出て、出家し、オウム真理教の施設内で生活するようになったことは認め、その余は否認する。

5  請求の理由3(二)の事実のうち、被拘束者ら五人の子供が、平成元年九月一五日、請求者のもとに帰ったことは認め、その余は不知。

6  請求の理由4ないし6の各事実は、いずれも否認する。

請求者は、同人経営の会社が昭和六二年以降は赤字決算となり、昭和六三年当時には、従業員に対する給料支払が遅滞し、住宅ローンの負担軽減のため自宅を売却するなど、その経営状態が悪いにもかかわらず、その本来の仕事、あるいは、被拘束者らの監護よりも、オウム真理教たたきに熱心である。請求者の姉である西村和枝は、平成二年一〇月一七日より入院しており、健康面で不安があるほか、請求者との関係も必ずしもしっくりいっているとはいえない。また、請求者は、性格的に粗暴であり、拘束者及び被拘束者らに暴力を加え続けて来ており、被拘束者両名は、請求者の暴力行為に対して強い反発を覚えている。

五  拘束者の主張

1  拘束の日時、場所及びその事由

被拘束者らは、平成二年九月二〇日、拘束者のもとへ行くために、請求者方を出た。拘束者は、札幌市東区北一一条東一丁目五三番地谷田マンションに住んでおり、平成二年九月二八日より、同住所において被拘束者らと共も生活している。

被拘束者舞子は右の当時一四歳九か月、同亜哉子は一二歳九か月であり、意思能力は既に十分備えており、自らの判断で母親である拘束者と右同所において生活しているのであり、拘束には当たらない。さらに、被拘束者らは、請求者のもとで生活するよりも、拘束者のもとで生活するほうが現在及び将来において、同人らにとって、最善である。

2  拘束者のもとでの監護

(一) 拘束者は、現在オウム真理教の援助を受けており、生活するうえでは何ら不自由はない。また、それとは別に通常の仕事による収入を得るべく、仕事を探してる。さらに、被拘束者らは、現在札幌市立北辰中学校に通学しており、通常の落ち着いた生活を営んでいる。そして、被拘束者らは、何よりも拘束者とともに暮らすことを望んでいる。

(二) オウム真理教は、オウム真理教付属病院が中心となって、信者の健康衛生管理、医療体制については万全を期している。被拘束者らの居住しているところは、一般人の家庭生活と実質的に何ら変わりなく、衛生状態は良好に保たれている。オウム真理教食は現代の歪んだ食生活を正すもので、これを食べると、蛋白質、炭水化物、脂肪、ミネラルがバランス良く摂取できる。

(三) 被拘束者らは出家者ではなく、信徒であり、オウム真理教の教義に基づく生活規範はなく、行動は自由であり、対人的接触の制限はなく、中学校にも通っていることから、情報、家族、友人から隔絶されたり、情報操作されたりすることはない。

六  拘束者の主張に対する認否

拘束者の主張する事実は、いずれも争う。

被拘束者らには、自己の置かれている現在の境遇及びそのままオウム真理教にとどまった場合の自己の将来について理解できる意思能力はない。仮に、たとえ意思能力があるとしても、自己の置かれている現在の境遇及びそのままオウム真理教にとどまった場合の自己の将来については、オウム真理教による裁判対策上の欺瞞的取扱い及び将来についての欺瞞的約束から、全く理解できていないため、また、オウム真理教による物理的、心理的、経済的拘束状態にあるため、拘束者のもとにとどまりたいという意思の表明は自由意思によるものではない。さらに、未だ自我形成過程にあって極めて不安定な思春期にある被拘束者らは、母親である拘束者から、オウム真理教が絶対正しいものとして教え込まれ、修業もさせられるとともに、請求者に対して恐怖心や反発を抱かせるような虚偽の事実を告げられ続けるなど、一方的に偏った情報を与えられ続けているため、右意思の表明については、その意思の形成過程において瑕疵がある。

第三  疎明〈省略〉

理由

一本件に至るまでの経緯

1  請求の理由1(当事者の身分関係)、同2(二)(拘束者の入信)の各事実は、当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、疎明(〈省略〉)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、一応次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる疎明資料はない。

(一)(1)  請求者と拘束者、被拘束者両名は、福岡市西区捨六町所在の請求者方において、他の三名の子である剛介、陽介及び京子とともに暮らしていた。

拘束者は、請求者と婚姻する前から宗教に強い興味を持っており、福岡県田川市所在の糒(ほしい)不動尊を信仰した後、昭和五八年頃、阿含宗に入信した。拘束者は、自宅で「千座行」なる修業をしていたほか、被拘束者舞子及び同亜哉子を阿含宗の集会に連れて行ったこともあった。

(2) 拘束者は、昭和六二年一一月ころ、オウム真理教に入信し、自らは福岡市内の同教の福岡支部道場に通ったり、親類や知人に対し同教へ勧誘するなど、熱心な信仰活動に従事するようになった。

被拘束者舞子も、小学校六年生のころから、オウム真理教の道場へ拘束者に連れられて、また、自分ひとりで、何回か行ったことがあったほか、自宅で同教の出版物である「マハーヤーナ」を読むなどして、同教への強い興味を持つようになっていった。同じく被拘束者亜哉子も、小学校四年生のころから、拘束者に連れられてオウム真理教の道場に行ったことがあった。

(3) 請求者は、昭和六三年九月ころから、拘束者の勧誘活動をめぐって拘束者と激しく対立するようになり、拘束者が被拘束者らに宗教を教え込むことに反対したり、オウム真理教から脱会させようとして口論となり、さらには、思い余って暴力行為を振るうようになった。被拘束者らは、請求者が拘束者に対し、オウム真理教の批判を加えたり、暴力行為を加えたりするところを、何回か、見聞きしていた。

拘束者は、昭和六三年九月ころ、請求者に対し、離婚して欲しい旨申し出たことがあったほか、平成元年二月ころ、家庭裁判所に離婚調停を申し立てたこともあった。

(二)  拘束者は、平成元年三月一一日、被拘束者ら五人の子供を連れて家を出た。拘束者及び五人の子供たちは、当初は、福岡市内のオウム真理教の信者方に、その後は川崎市内の信者方に一時身を寄せていたが、同年六月七日ころ、同教の富士総本部道場(静岡県富士宮市)に移り、そこで暮らすようになった。

拘束者及び被拘束者らは、富士総本部道場に移ってからは、信者以外の人やテレビ、新聞等のマスメディアとの接触を持たず、社会との交渉を断ち切って、オウム真理教の教義を学習したり、修業に専念するなどして、同教の信者らと集団生活を送っていた。

拘束者は、平成元年六月二三日、オウム真理教に対して出家した。

被拘束者らは、三月に家を出てから九月に帰るまで、学校には行かなかったし、ほとんど勉強をしなかった。

被拘束者らは、同人らの行方を捜してオウム真理教側と交渉する請求者について、暴力団を連れて殴り込んで来たとか、麻原を殴ったとか、虚偽の事実を告げられるなどしていた。

(三)(1)  請求者は、拘束者と被拘束者ら五人の子供たちが家を出てから、警察に捜索願を出したり、オウム真理教福岡支部に赴くなどして、その行方を追い続けていたが、オウム真理教側との交渉の結果、平成元年九月一五日、被拘束者ら五人の子供たちが、請求者のもとに返された。なお、その際、請求者はオウム真理教側に対して、被拘束者らがオウム真理教の信徒であることを認める、オウム真理教を中傷しないなど五か条の条件を記載した誓約書(〈疎明〉)を差し出した。

(2) 被拘束者らは、請求者のもとに帰った直後は、オウム真理教の道場に行きたがったので、それを阻止するため、請求者は、被拘束者らを二階の寝室に約一日間閉じ込めたことがあった。

その後、請求者が、被拘束者らを遊園地に遊びに連れていったり、親しい友人に話をしてもらう等するうちに、被拘束者らは、徐々に平常の生活に戻って行き、学校にも復学し、勉強をするようになった。

(四)  被拘束者らは、平成二年九月二〇日朝、学校に行くために家を出たが、登校することなく、福岡市内のホテルにおけるオウム真理教の記者会見に拘束者とともに列席した後、熊本県阿蘇郡波野村所在の同教の道場へ行った。

さらにその後、拘束者は被拘束者らとともに札幌へ行き、現住所地で暮らしている。被拘束者両名は、平成二年一一月七日ころから、札幌市立北辰中学校に通学している。

(五)  被拘束者らは、いずれも、請求者の監護のもとで暮らすよりも拘束者の監護のもとで暮らすことを望んでいる旨の意思を表明している。

二現在の監護養育環境

1  拘束者側の事情

疎明(〈省略〉)並びに弁論の全趣旨によれば、一応次のような事情が認められる。

拘束者と被拘束者らの現住所は、鉄筋コンクリート二階建マンションの二階部分の三DKで、オウム真理教が借りているものである。同部屋の利用者は、拘束者及び被拘束者らのほかに、炊事、食事、洗濯、入浴などのために出入りする三名のオウム真理教信者がいる。現在、賃貸人から部屋の明渡しを求められており、全国各地にオウム真理教の施設、道場があることから、今後、拘束者及び被拘束者らは、居所を転々と変遷する可能性がある。

被拘束者らは、現在、一般のマンション内に居住し、オウム真理教食を摂り、十分に睡眠時間を取るなど、その生活環境は健康を維持するにつき一応支障はない。

拘束者には定職がなく、オウム真理教による経済的援助に依拠しており、その経済的基盤は強固とはいえない。

被拘束者らは、現在、札幌市立北辰中学校に通学しており、ともに良好な学校生活を送っている。

拘束者は、被拘束者舞子につき、高校進学を希望している旨陳述書や準備調査期日、審問期日において述べているが、同被拘束者がすでに受験期にあるにもかかわらず、高校受験のための準備や手続に関して具体的な行動を取ってはおらず、また、その経済的余裕もないことからすれば、被拘束者舞子を高校へ進学させる意思も能力もない。

オウム真理教の教義による修業や宗教教育が、子供の健全な育成に適合するかどうかは、全疎明資料によるも明らかではない。他方、現在、オウム真理教をめぐっては、熊本県阿蘇郡波野村などの地元住民との対立、国土利用計画法違反等の被疑事実に基づく強制捜査や同種人身保護請求事件等により、その外部、内部が騒然としており、被拘束者らも何回か、マスコミによるインタビューを受けるなどしている。

2  請求者側の事情

疎明(〈省略〉)並びに弁論の全趣旨によれば、一応次のような事情が認められる。

請求者肩書地住居は、木造二階建で、一階部分は三LDK、二階部分には二室ある。請求者は、剛介、陽介、京子の三人の子供と暮らしているが、家事一般は、主に請求者が行っている。

請求者は、株式会社サンデリカを経営しており、同会社は、現在従業員四名で、月商約三〇〇万円である。請求者の収入は、実質平均月収約三〇万円である。

請求者の負債は、約三〇〇〇万円にも達するが、そのうち約半分が請求者の兄・姉からの借入れであり、その多くは請求者の個人会社である右サンデリカの経営のために使用されたものであるところ、将来、請求者が仕事に専念すれば、十分に会社を立て直すことによってその返済も可能である。

請求者には姉の西村和枝がおり、現在、手術で入院中であるが、近く退院し、請求者と協力して、被拘束者らを監護する意欲を持っている。

請求者は、被拘束者らに対しても深い愛情を抱いており、被拘束者らが請求者のもとに戻って来れば、地元中学校に復学させるとともに、高校へ進学させることを希望している。

三被拘束者らの拘束の有無について

1  舞子及び亜哉子の意思能力

意思能力のない幼児を監護することは、監護方法の当不当または愛情に基づく監護であるかどうかとはかかわりなく、人身保護法及び同規則にいう「拘束」にあたると解するのが相当である(最高裁判所昭和四三年七月四日第一小法廷判決・民集二二巻七号一四四一頁参照)。

しかし、この点、前記当事者間に争いのない事実に、(〈疎明〉)、被拘束者らの準備調査期日及び審問期日における各供述態度並びに弁論の全趣旨を総合すると、被拘束者舞子及び同亜哉子は、いずれもその年齢(審問終結当時、被拘束者舞子は一五歳、同亜哉子は一二歳一一か月。)、学力(ともに普通程度である)、資質などからみて、自己の境遇を認識し、かつ将来を予測して適切な判断をすることのできる精神的能力であるところの意思能力を備えていることが一応認められ、〈疎明〉中右認定に反する部分は信用できない。

2(一)  しかしながら、意思能力があっても、その児童が自由意思に基づいて監護者のもとにとどまっているとはいえない特段の事情があるときには、右監護者の当該児童に対する監護は、なお右「拘束」にあたると解するのが相当である(最高裁判所昭和六一年七月一八日第二小法廷判決・民集四〇巻五号九九一頁参照)。そして、一応意思能力を有すると認められる段階に達した児童が、共同親権者の一方の監護に服することを受容するとともに、他方の監護に服することに反対の意向を表明しているとしても、その児童に意思能力が十分に備わっていない当時から、共同親権者の他方を完全に排除する現在の監護状況と同じか、これに準ずるような監護状況を継続するとともに、児童において他方の親権者に対する嫌悪と畏怖の念を抱かざるを得ないように教え込んできた結果、自らの監護者を選択するについて必要かつ適切な情報を持たないまま、右のような意向を表明するに至ったものと認められる場合、あるいは、その児童が身体的、精神的自由の制約を受けるなど、不当な強制力により自己の意思に反する意向を表明すべく強いられて、右のような意向を表明するに至ったものと認められる場合には、当該児童が自由意思に基づいて共同親権者の一方の監護者のもとにとどまっているとはいえない特段の事情があるものというべきである。

(二)  これを本件についてみるに、前記事実に疎明(〈省略〉)並びに弁論の全趣旨を総合すると、被拘束者舞子は一二歳にも満たないころから、同亜哉子は一〇歳にも満たないころから、オウム真理教の道場に通い始め、平成元年三月一一日から同年九月一五日までの約六か月間オウム真理教の施設内で、学校に通うことなく同教の教義に基づく修業に専念していたうえ、同じオウム真理教の信者として拘束者と被拘束者らとは強い連帯感で結びつけられていると一応認めることができることからすれば、被拘束者両名は、拘束者及びオウム真理教から強い影響を受けているといえるが、他方、被拘束者らは、右六か月間及び平成二年九月二〇日から同年一一月七日までの期間を除き、学校に通ってきたこと、請求者を通じて拘束者に対する非難やオウム真理教に対する批判的意見も聞かされていること、被拘束者らは、請求者のもとでの生活と拘束者のもとでの生活を両方体験して、経済的基盤が強固ではなく、生活環境の安全性と継続性に不安がある等の拘束者側の前記認定の事情とそれに対する請求者側の前記認定の事情の両方について認識し得る状況にあったこと、被拘束者らは、平成元年九月一五日から同二年九月二〇日までの約一年間は、拘束者及びオウム真理教との接触はなく、最初の一時期を除いて、請求者と極端な対立もなく請求者のもとで落ち着いた生活をしていたことなどからすれば、かえって、共同親権者の他方である請求者を完全に排除する状況ないしはこれに準する状況は、一旦は、断絶されているのであって、拘束者の監護に服する直前まで請求者のもとで生活していた間は、自己の意思形成にあたり必要な情報が提供され、右情報を認識したうえで、冷静に適確な意思を形成することのできる客観的状況にあったものといえる。

また、疎明(〈省略〉)並びに弁論の全趣旨によれば、被拘束者らの請求者のもとにとどまりたくない旨の意向の表明の背後には、請求者の一見矛盾して見える言動や暴力に対する嫌悪感、不信感も介在していることが一応認められ、他方、被拘束者らの陳述書の各記述内容や準備調査期日、審問期日における各供述内容には、ことさら誇張したり虚偽の事実を述べているかのような部分も相当存在するものの、拘束者が被拘束者らに対し、不当な脅迫行為や、有形力の行使を伴う強制力を加えることにより自己の真意に反する意向を表明するように強制した事実を認めるに足りる疎明は存在せず、陳述書、準備調査期日、審問期日を通じて、裁判上、自己に有利となるか不利となるかを被拘束者らなりに判断して記述、供述している態度が窺えることからすれば、身体的、精神的制約があって全く自己の意思に反する意向を表明しているものと認めるに足りない。

結局、全疎明資料によるも、被拘束者らが、自由意思に基づいて拘束者のもとにとどまっているとはいえない特段の事情があると認めるに足りない。

(三)  したがって、被拘束者舞子及び同亜哉子は、その自由意思に基づいて拘束者のもとにとどまっているというべきであり、拘束者の監護は人身保護法及び同規則にいう「拘束」にはあたらない。

四本案前の主張についての判断

拘束者は、本案前の主張として、本件がオウム真理教の教義に関する宗教的問題を主要な争点とするものであって、それを司法が判断することは政教分離原則違反であり、また、裁判所法三条にいう法律上の争訟にあたらない旨主張する。しかし、本件請求については、オウム真理教の教義等の宗教上の当否を問題とすることなく、前示各認定によってその当否を判断することが可能なのであるから、拘束者の右主張は理由がない。

五以上のとおりであって、請求者の本件請求は理由がないからこれを棄却し、人身保護法一六条一項により被拘束者両名を拘束者に引き渡し、手続費用の負担につき同法一七条、同規則四六条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寒竹剛 裁判官五十嵐常之 裁判官加藤亮)

別紙代理人目録〈省略〉

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